「PSYCHO-PASS サイコパス」テレビアニメ第1期の結末が秀逸だった思い出(ネタバレ)

2012年10月にフジテレビ系深夜アニメ放送枠「ノイタミナ」で放送されて以来、未だに根強い人気を持っているアニメシリーズ「サイコパス」。

2014年秋のテレビ第2期(続編)、2014年冬の劇場版放映はまだ記憶に新しい。

第1期放送以来、コミック化やノベライズ化が進み、スピンオフ作品、ゲーム、遊園地でのイベントなど、着実にメディアミックス、ファンの拡大が進んだ、いわゆる「成功したアニメ」。

あらためて観返しても、その独特の世界観はなかなか秀逸。特にアニメ第1期の結末が個人的には結構気に入っている。

photo by Danny Choo

 

ハッピーエンドとはいえない結末

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photo by Danny Choo

アニメ第1期の結末は、実に問題提起的な終わり方をする。

公安局刑事課一係所属メンバーは、宿敵・槙島 聖護(まきしま しょうご)を追い込み、最終的には一応の平和を取り戻すが、それに至るプロセスや結果は、決してハッピーエンドとはいえない。

例えば、メインキャラクターであった執行官・征陸 智己(まさおか ともみ)、縢 秀星(かがり しゅうせい)の死。一話から出ているメインキャラクターが一気に二人も死ぬのはなかなか堪えるものがある。

特に、征陸 智己(まさおか ともみ)の死は、監視官・宜野座 伸元(ぎのざ のぶちか)との親子エピソードも絡んでなかなか切ない。まあ、立ち位置としてはいかにも終盤に死にそうなキャラクターではあるが…。

また、父親の死に直面したことで犯罪係数上昇し、執行官に堕ちた宜野座の結末もなんとも皮肉。「最後に父親とわかり合えた」というポジティブな一面もあるが、その分を差し引いても、決してハッピーな終わりとはいえない。この辺りのストーリー展開はほんとうに巧いと思う。

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photo by Danny Choo

一方、主人公の狡噛 慎也(こうがみ しんや)も最終的には槙島 聖護(まきしま しょうご)を殺し、執行官から逃亡する。抵抗しない槙島に銃口を向けたあのシーンは、まさに狡噛が善悪どちらに堕ちるかを審判するシーンだったが、主人公が最終的にそこで「善」を選ばなかったというのも興味深い。普通のアニメなら逆の展開になるんじゃないかと。

ヒロインの常守 朱(つねもり あかね)は結局狡噛を止めることができず、槙島による一連の事件は収束したけれど、ずいぶんしこりの残る結末となる。

例えば、「狡噛が槙島を殺さずに逮捕。狡噛は執行官に復帰し大団円の一方、その後槙島の行方はわからなくなる…。」そんな結末だってあったのだろうが、結果としてそうならなかったことが、「サイコパス」を深くてダークな話のまま終わらせているように思う。

そういう意味では、観ている側に強い印象を残す、秀逸な終わり方である。

単純な善悪二元論ではない

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photo by Danny Choo

ストーリーの中で、槙島 聖護(まきしま しょうご)は宿敵であり「悪」の存在である訳なわけだが、「絶対悪」ではない。そこが物語を深くしている。

そういう意味では、「サイコパス」には単純な善悪二元論の物差しで測れない、多面的な世界観がある。

『サイマティックスキャンで読み取った生体場を解析し、人の心の在り方を解き明かす……科学の叡智はついに魂の秘密を暴くに至り、この社会は激変した』
『だがその判定には人の意志が介在しない。君たちは一体、何を基準に善と悪を選り分けているんだろうね?』
『僕は人の魂の輝きが見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい。だが己の意思を問うこともせず、ただシビュラの神託のままに生きる人間たちに、はたして価値はあるんだろうか?』 ― 第11話「聖者の晩餐」
『他者とのつながりが自我の基盤だった時代など、当の昔に終わっている。誰もがシステムに見守られ、システムの規範に沿って生きる社会では、人の輪なんて必要ない。皆小さな独房の中で、自分だけの安らぎに飼いならされているだけだ。』 ― 第21話「血の褒賞」

殺人という暴力的な手段は正義とは言えないが、「シビュラシステム」がもたらす管理社会に疑問を投げかけ、体制転覆・人間性の復活を目論む姿に限って言えば、崇高な革命家のようでもあり、考え方や行動原理だけをとってみれば、むしろ槙島の方が主人公にふさわしいような気もしてくる。

一方、その槙島と実は最も近い性質であるのが、主人公の狡噛 慎也(こうがみ しんや)という設定も良い。結局ラストでは、その主人公が無抵抗の悪役を殺してしまう、つまり槙島と同じ「殺人」という手段で目的を果してしまうわけだから、一筋縄ではいかない話だなという気がする。

「シビュラシステム」は正義か悪か

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photo by Danny Choo

人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測を可能とした「シビュラシステム」。これにより実現した高度管理社会というのが「サイコパス」の最大の設定になっているが、この「シビュラシステム」が絶対的な正義ではない、ということが物語を深くしている。

治安維持、犯罪抑止、個人の特性に応じた職業配置など、「シビュラシステム」はあらゆることを合理化するシステムでありながら、一方で人間性を奪うという逆機能や、システムが悪と判断した人間は容赦なく裁かれるという、ある意味独裁的で矛盾した存在であるということ。

そしてそれを盲目的に守り、維持することを果たさなければならないヒロイン・常守 朱(つねもり あかね)たちには「自分が守らなければならないものが必ずしも正義ではない」という葛藤があり、ストーリーが進むにつれてそれが大きくなっていく。

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photo by Danny Choo

つまり、正義の味方と悪役、善者と悪者がはっきりと両サイドに分かれていない。ここがストーリーの深みを醸し出しているポイントだろう。このあたりは、例えば「デスノート」で主人公・夜神月が目指した「新世界」とちょっと似ている部分かもしれない。

また、人間性を奪う「シビュラシステム」が実は人間の脳によって作られているという皮肉や、宿敵である槙島 聖護(まきしま しょうご)のような免罪体質者の脳によって構成されていて、システムの高度化のために「シュビラシステム」は槙島を求めているという流れも、物語を良い意味で複雑化していて、観ている側に問題提起を求めるような、秀逸な設定だ。

おわりに

アニメ第1期の終わりには、ラストシーンで新人監視官の登場があったりと、映画版、テレビ続編へつながる伏線もある。

このあたりも「商売的に」よくできてるよね。